10.1964年誕生?東京トルコ温泉(南新地変遷)
2013年9月15日
7年後の平成32年(2020年)、二度目の東京オリンピックが開催される。
前回は昭和39年(1964年)秋であったが、福岡の街もさぞ高揚したであろう。
当時の福岡市人口73万人、現在の半数にも満たないが、個々人は激熱であった。
オリンピックは東洋の魔女・女子バレーなど「金」メダル16個、
当地平和台球場では西鉄ライオンズが活躍、
九州場所は大鵬が優勝。中洲はのぼせモンで連日大賑わいであった。
中洲の南端・南新地は、都会の喧騒とは一線を画した古い街並みであったが、新たな動きがおきていた…。

通称「南新地」とよばれる中洲一丁目、現在ソープやヘルス、約100もの店舗型性風俗店がひしめいているのは周知のとおりである。
明治時代末期から大正を経て、戦前の昭和初期までは芸妓置屋や待合、料亭が軒を連ねる街であった。
公認遊郭街ではなかったが、一部で遊郭的なサービスは 行われていた。
戦後しばらくの間、怪しい「旅館」などが民家などと軒を連ねたが、公然風俗店は皆無であった。それ目当ての男性の大半は清川の新柳町遊郭へ通った。

転機は1958年施行の売春防止法と1964年開催の東京オリンピックであった。
売春防止法で公然風俗街の新柳町遊郭が廃止された影響で、春吉の路上などで非衛生な裏風俗「たちんぼ」や「アオカン」などが大流行、性病が蔓延した。
このことで、衛生的な公然風俗店が見直されることになるのである。
関東や関西では売春防止法施行前後から衛生的なトルコ風呂店が普及していったが、地方都市・福岡は遅れていた。
東京でオリンピックがあった1964年ごろ、南新地最初のトルコ風呂店ができた。

その第一号店と思われる店が「東京」である。


昭和39年当時、中洲など博多地区の市内電話局番は一桁であった…

過去の地図や行政資料などを参考に推測してみた。確たる証拠はない。
地域の関係者などにも聞いて廻って見たが、元祖店がどの店があるかとの証言は得られなかった。…よって、推測の域であるのが歯がゆい。
「東京」は 現在の「パラシティ新館」(中洲一丁目5番12号)がある一画で、昭和39年(1964年)ごろから平成8年(1996年)ごろまで営業していた。
店舗名称はただ単に大都会への憧れだけでなく、1964年オリンピック東京大会を記念してであろう。
オープン当初の店名は「東京トルコ温泉」であったが、1967年ごろに「東京トルコ」になり、1985年以降は「東京」。
inserted by FC2 system